Japan! 堂島川沿いの切断遺体は上半身の一部, 30代女性が住むアパートの部屋に“強盗”, 平屋建て住宅が全焼で2人の遺体発見, 那賀町の山中に女性の遺体遺棄した疑い, 「私が強姦されたと言ったら捕まるよ」, 地下鉄サリン事件から30年「今も地下鉄に乗れない」「オウム真理教が怖い」, 地下鉄サリン事件で駅員2人を亡くす 元霞ヶ関駅長が語る“就任初日”とその後, 長野駅前殺傷事件 容疑者衣服の血痕, 女性警察官の制服スカート廃止へ, 大阪市の遊歩道で男性の遺体の一部発見, 出かけようとした高齢女性に突然男が金銭要求する強盗致傷事件, 地下鉄サリン事件から30年 高橋シズヱさん「長い30年だった…」 2025.3.21-3.22

2025.3.22 大阪・堂島川沿いの切断遺体は上半身の一部 頭部未発見、所持品なし
大阪市中心部の堂島川沿いの遊歩道で、ポリ袋に入った切断された男性の遺体が見つかった事件で、遺体は胸部の皮膚や内臓など上半身の一部だったことが大阪府警への取材でわかった。頭部は見つかっていないという。府警は身元確認を進めるとともに、死体損壊・遺棄事件として捜査している。
捜査1課によると、遊歩道で見つかったポリ袋からは肉片と骨片が計約30個見つかった。切断された皮膚や筋肉のほか、肋骨(ろっこつ)や内臓の一部だったことが判明したという。
司法解剖の結果、男性の遺体の一部だとわかったが、年齢や死因、死亡推定日時などは特定できなかった。現場付近で身元特定につながるような所持品なども見つかっていないという。
事件は19日に発覚した。午後1時50分ごろ、大阪市福島区福島3丁目の堂島川沿いの遊歩道の植え込みで緑色のポリ袋と肉片が落ちているのを通行人が発見し、「何かおかしい」と110番通報した。駆けつけた警察官が確認した際、袋の口は縛られていなかったという。
府警は何者かが男性の遺体を切断して遺棄したとみて、現場の状況や遺体を詳しく調べるとともに、殺人容疑も視野に捜査している。

2025.3.22 徳島 那賀町の山中に女性の遺体遺棄した疑い 45歳男を逮捕
徳島県那賀町の山中に知人の女性の遺体を遺棄したとして45歳の男の容疑者が逮捕され、警察が詳しいいきさつを調べています。
逮捕されたのは高知県香美市の自称・郵便局員、福留 健太容疑者(45)です。
警察によりますと、20日夜から21日昼ごろにかけて神戸市の飲食店店員、山村かおりさん(37)の遺体を徳島県那賀町の山中に遺棄した疑いがもたれています。
20日夜、山村さんの知人から「電話で話をした友人が泣いたり、騒いだりしている。捜して欲しい」と通報があり、警察が調べたところ、防犯カメラの映像などから徳島市内の駐車場で容疑者と会っていたことがわかったということです。
その後、警察が容疑者を見つけ、事情を聴いたところ遺体を遺棄したと話したことから説明をもとに徳島県那賀町と神山町の境にある旧土須峠付近を捜索した結果、山村さんの遺体が見つかったということです。
2人は知り合いで、警察は死亡したいきさつについても何らかの事情を知っているとみて詳しく調べています。

2025.3.22 平屋建て住宅が全焼で2人の遺体発見 性別は不明 住人の高齢夫婦と連絡取れず 周辺の住宅2棟に延焼 福岡・中間市
22日未明福岡県中間市で住宅1棟を全焼する火事があり焼け跡から2人の遺体が見つかりました。
消防によりますと22日午前1時まえ中間市朝霧の住宅で「白い煙と火が見える」と近くに住む人から消防に通報がありました。
消防が消火にあたりましたが火は木造平屋建ての住宅1棟を全焼したほか周辺の住宅2棟に延焼し約4時間後に消し止められました。
全焼した住宅からは性別が分からない2人の遺体が見つかりました。
遺体はそれぞれ住宅の居間と玄関付近で発見されたということです。
警察によりますとこの家には田中勇さん(90)と妻の貞子さん(85)が2人で住んでいるとみられ現在、2人と連絡が取れていないということです。
警察と消防は遺体の身元確認を急ぐとともに出火の原因を詳しく調べています。

2025.3.22 30代女性が住むアパートの部屋に“強盗” 2人組の男が窓ガラスを割って侵入 寝ていた女性を棒状のもので脅し「金を出せ」と要求 警察が男らの行方捜査 北九州市小倉南区 
22日未明、北九州市で女性が住むアパートの部屋に2人組の男が押し入り衣服を奪って逃走する強盗事件がありました。
22日午前4時半ごろ北九州市小倉南区のアパートに住む39歳の女性から「男2人に窓ガラスを割られた」と110番通報がありました。
警察によりますと2人組の男が突然、窓ガラスを割って侵入し室内で寝ていた女性を棒のようなもので脅して「金を出せ」と要求したということです。
男らは建物の外壁を伝って窓から侵入したとみられ女性が一室に逃げ込むと別の部屋にあったスウェットを奪って逃走したということです。
女性にけがはありませんでした。
逃げた2人はいずれも身長およそ170センチでニット帽とマスクを着用していたということで警察が強盗などの疑いで行方を追っています。

2025.3.22 「今も地下鉄に乗れない」「オウム真理教が怖い」被害者支援する弁護士の坂本弁護士事件での決意 松本サリン事件、地下鉄サリン事件を取材して教えられたこと【地下鉄サリン事件から30年】

死者14人、重軽傷者約6300人にのぼった地下鉄サリン事件から30年となり、20日、現場のひとつとなった東京メトロ霞ヶ関駅の献花台には被害者や遺族、関係者ら多くの人が訪れた。そして事件から30年が過ぎたが、今も後遺症に苦しむ多くの人たちがいる。

東京メトロ霞ヶ関駅の献花台に訪れる人(20日)

地下鉄サリン事件や松本サリン事件の被害者の検診など健康面のサポートにあたってきたNPO法人「RSCリカバリー・サポート・センター」でも被害者やスタッフ約50人が、死傷者が最も多かった日比谷線小伝馬町駅から八丁堀、築地、神谷町、霞ヶ関、そして中野坂上駅まで事件による死者がいた各駅の献花台を訪れて、冥福を祈った。

今も続く身体と目と心の不調
RSCは、地下鉄サリン事件翌年の1996年から活動を始め、これまでに延べ2700人以上の被害者が毎年行われる検診を受診してきた。多くが「体がだるい、疲れやすい」といった身体症状のほか、「目が疲れる、かすむ、焦点があわない」などサリン特有の目の症状の訴えが多い。

RSCが毎年行ってきた検診データ
また「今も地下鉄に怖くて乗れない」などのPTSDも多く、オウム真理教の後継団体が活動を続けていることもあり、自分の存在が明らかになることへの恐怖を感じている被害者もいるという。

理事長の木村晋介弁護士(80)は「当初考えていたよりも後遺症の症状は重く、大勢の人が被害を訴えて検診にきました。放っておけませんでした」と話す。通勤途中の被害者が多く、労災の相談もあったが、症状によって労災が認定されないこともあったという。

「被害者同士の結びつきが大切」
木村弁護士と山城洋子事務局長(76)は、「様々な症状に悩む被害者にとって、被害者同士の結びつきが何よりも大切です」と話す。新宿御苑では被害者が集まるイベントが行われてきたが、「被害にあったのは自分だけではないと実感でき、お互いに症状を相談できることが安心につながる」という。

地下鉄サリン事件(1995年3月20日)
地下鉄サリン事件の被害者は、東京近郊から地下鉄で通勤していた若い女性も多かったが、30年の付き合いで旅行や食事などを楽しむグループもあるという。「検診会場にも談話室を作りましたが、そこで笑顔で話している皆さんをみるとほっとします」

被害にあった妊娠中の女性が出産を迷っていた時に、検診にあたる医師のアドバイスもあって、無事に出産できたこともあったという。「翌年、赤ちゃんを連れて検診に来たときには、皆が拍手で出迎えました」

今も続く坂本弁護士への良心の呵責
木村弁護士は1989年に当時出演していたラジオ番組で、オウム真理教の信者の脱会支援をしていた坂本堤弁護士に電話で出演してもらい、麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚を同じく電話でつないで、脱会問題について放送した。その後、坂本弁護士一家は行方不明となり、今も良心の呵責があるという。

オウム真理教によって殺害された坂本弁護士一家(堤さん・龍彦ちゃん・都子さん)
「複数の弁護士で出演してもらうなど制作側にアドバイスすればよかったと思っています。その後、坂本弁護士一家の救出活動にも携わりましたが、RSCを続けてきたのは自分の責任を果たすことでもありました」

坂本弁護士事件をめぐっては、坂本弁護士にインタビューしたテレビ番組が、抗議にきた教団幹部に放送前のインタビューのビデオテープを見せた上に、放送を中止したことが大きな問題にもなった。

被害者からの感謝の言葉「苦しむ人の役に立ちたい」
RSCは検診の受診者が年々減ってきていて、高齢化や症状と折り合いをつける被害者も増えてきたことから3月で解散して活動を終えるが、被害者同士が自主的につながり、交流できる仕組みをサポートしていくという。

さまざまな活動を行っていたRSCは3月で解散し活動を終える(2010年3月20日)
「寄り添って下さって、本当にありがとうございます」
「私も苦しむ他の人々の役に少しでも立ちたいと願っています」

解散することが分かり、RSCには多くの被害者から感謝の言葉が寄せられている。

松本サリン事件 河野義行さんを取材
筆者がオウム真理教の取材に関わったのは、まだ教団の犯行と分かる前の1994年6月の松本サリン事件だった。

長野県松本市の閑静な住宅街で深夜、有毒ガスが突然発生し、8人が死亡、600人以上が負傷した事件は、ナチス・ドイツが開発した化学兵器「サリン」が使われたことが分かり、初めて聞くその物質名に多くの人が驚き、連日、報道が続いた。

インタビューに答える河野さん(1994年8月)
そして事件の第一通報者だった河野義行さん(当時44)に対して、警察が事情聴取と家宅捜索に乗り出したことで、メディアの報道は過熱し、河野さん宅はカメラと記者に取り囲まれた。

東京でニュース番組を担当し、事件を受けてサリンについて取材していた筆者は、有機化学の第一人者だった東京大学の森謙治教授(故人)に依頼して、河野さん宅にあった青酸化合物などの薬品や、当時の天候や風向きなどを分析して、サリン発生の状況を科学的に解明したいと河野さん側に働きかけ、事件発生から約2カ月後の8月下旬、河野さん宅で取材することになった。

取材に応じた河野さんはパジャマ姿で疲れた様子だった(1994年8月)
サリン中毒の影響で床についていることが多いという河野さんは、パジャマ姿で疲れた様子だったが、事件当時の状況を克明に説明してくれた。

森教授とサリンの流れを検証(1994年8月)
森教授とともに推測したのは、自宅や周辺の検証から空気より重いサリンは、おそらく河野さん宅の庭の前にある駐車場付近で発生して、河野さん宅1階の床下を通り抜けて裏庭の犬小屋を直撃、そして隣接していた会社の寮やアパートの壁を這うようにして広がり、各階の室内に流れ込んで被害が広がったのではないかというものだった。

河野さんはインタビューで、「事件があった夜は最初に飼い犬の鳴き声を聞いて、様子を見にいったところ、犬が泡を吹いて死んでいて、毒を盛られたと思った」と話していたが、その説明とも合致していた。

森教授とサリンの流れを検証(1994年8月)
また、河野さんの妻澄子さんは重度のサリン中毒となったが、気分が悪くなったあと床に横になったため、床下にたまったサリンが板の間の隙間から漏れ出て、症状が悪化したとも推測された。そして我々が確認した河野さん宅にあった薬品からはサリンが作れないことも分かった。

「疑惑を晴らして元の生活に戻りたい」
もちろんこれだけで、河野さんが事件に無関係だといえるものではなかったが、科学的な検証結果を翌日のニュース番組で放送した。インタビューの最後に河野さんに逮捕される可能性について聞くと、「容疑者扱いの捜査には協力できない。疑惑を晴らして早く元の生活に戻りたい」と語った。

妻澄子さんを看病する河野さん
河野さんはサリンで低酸素脳症となった澄子さんの介護を続けたが、事件から14年後の2008年、澄子さんは意識が戻ることなく亡くなった。

「オウム、警察、マスコミは同罪」
河野さんは麻原元死刑囚の死刑が執行される直前の2018年、再びインタビューに答えてくれた。

インタビューに答える河野義行さん(2018年5月)
「あの時は容疑者のような報道をされて、自分が知っている人以外はみんな敵に見えました」「殺人者になれば妻は意識不明のまま居場所がなくなる。そうなってはいけないと」

そして率直な思いを語った。

「事件をおこしたオウム真理教、犯人扱いした警察、そして間違った報道で世間のバッシングを招いたマスコミ、私からみればみな同罪です」

続く“麻原信奉”はびこる「手を汚さない犯罪」
筆者は翌年、警察担当の記者となり、一連の教団の事件を取材したが、強制捜査のさなかもテレビ出演して、国家の謀略だと声高に主張する教団幹部、そして“尊師”の麻原元死刑囚への信仰を続けるヘッドギアをつけた信者は、事件が明らかになるにつれて、まるで目が覚めたように麻原元死刑囚との決別を告げ、教団から離れていった。

アレフの施設内に飾られている松本智津夫元死刑囚の写真(公安調査庁提供)
しかし事件から30年を経て、後継団体のアレフなどは活動を続け、公安調査庁は今も麻原元死刑囚を信奉しているとみている。またこうしたカルトだけでなく、特殊詐欺やサイバー犯罪など自分の手を直接、汚さない犯罪がはびこっているように見える。

上九一色村にあるオウム真理教の教団施設を上空から取材する筆者(1995年3月)
「今回、事件から30年という節目で、被害者や弁護士、警察関係者らを取材して、様々な話を聞き、メディアに対しての厳しい声、励ましの声もいただきました。目の前にある事実とその背景、そしてその時その場所でその出来事に関わった人たち声を伝えていくことの大切さをあらためて教えられたと感じています」(筆者)

2025.3.22 「私が強姦されたと言ったら捕まるよ」性行為後に20代男性を恐喝して現金90万円脅し取った疑いで31歳女を再逮捕 「中絶費用が必要」と他の男性からも現金だまし取った疑いですでに逮捕
2024年11月、SNSで知り合った20代男性と行為後に「私が強姦と言ったら捕まるよ」などと恐喝して、現金90万円を脅し取った疑いで無職の31歳女が逮捕された。女は2024年12月にも「中絶費用が必要」などと嘘をつき、知人の男性から3回にわたり現金25万円あまりをだまし取った疑いで逮捕されていた。
「私が強姦と言ったら…」恐喝の疑いで31歳女を逮捕
恐喝の疑いで逮捕されたのは、新潟市東区に住む無職の女(31)だ。
女はSNSで知り合った20代男性から現金を脅し取ろうと考え、2024年11月中旬、SNSを利用して男性に対し、夫がいて不貞行為になる旨を伝えた上、「払わないなら裁判を起こすと言っている」などとメッセージを送信するなどして現金を要求し、新潟市東区で男性から現金50万円を脅し取ったほか、11月下旬、男性に対し「私が強姦されたと言ったらあなた捕まるよ」などとメッセージを送信して現金を要求し、現金を振り込ませるなどして男性から2回に渡り、合計40万円を脅し取った疑いがもたれている。
事件は11月下旬に被害男性からの届け出で発覚。警察によると、女は結婚していた事実はなかったという。
「中絶費用が必要」嘘をつき現金だまし取った疑いも…
また、女は2024年12月上旬、知人の40代男性に対し、アプリのメッセージを使い、「自身に振り込まれる生活保護費が男性に振り込まれるため、それを担保に現金を貸してほしい」と嘘をつき、男性から現金5万2000円だまし取ったほか、12月中旬に「別の男性との間に妊娠した子どもの中絶費用として17万円が必要で、不足の7万円を貸してほしい」と嘘をつき、現金7万円を。12月下旬にも「病院に中絶費用を支払わないと警察に捕まってしまうため、13万円を貸してほしい」と電話で話し、現金13万円をだまし取った疑いで逮捕されていた。
警察の調べに対し、女は「脅し取ったことは間違いありません」と容疑を認めていて、警察はさらに余罪がないか詳しく調べている。

2025.3.21 元霞ヶ関駅長が語る“就任初日”とその後

駅の周りでは桜が咲いていた記憶があります。

あの日、真新しい制服に袖を通し、念願だった駅長に就任しました。ほどよい緊張感に包まれていたとき、事件は突然、起きました。

大切な仲間を失い、そして大切な仲間とともに歩んできた、わたしの30年です。
(取材 社会部 金澤隆秀)

桜咲くあの日、念願の駅長に就任
「当時を思い出しますよね。思い出したくもない事件でもありますけど。駅構内から全員待避したときにこの周辺にマスク姿の方がたくさんいて、取材を受けた記憶があります。そのとき、報道の人に周りの様子をとにかく撮って放送してほしいとお願いしたんです。なぜかというと、その年の1月に発生した阪神・淡路大震災でテレビで家族の生存を確認したという人がいたのを知って、そのことが心に残っていたものですから」
霞ヶ関駅の元駅長・野尻辰秀さん(73)。

事件が起きた1995年3月20日は、野尻さんが駅長に就任した初日でした。
当時、42歳でした。
野尻さん
「駅の周辺では桜が咲いていて、気持ち新たに駅長としての日々が始まるなと。緊張しながらも駅員の前でどんな挨拶をするか、その日の朝、考えていました」
大学卒業後、総務部門での勤務が長く、いつかは現場で働きたいと上司に長年伝え続けていた野尻さんにとって、念願の駅での勤務でした。

年上の駅員が多いなか、緊張しながら午前7時半に駅長室に入室。うぐいす色の真新しい制服に袖を通して、鏡の前で敬礼の練習を重ね、午前8時からの点呼に臨みました。
点呼場に立つ野尻さん
野尻さん
「制服のほか、帽子をかぶるのも初めて、ましてや敬礼も知らなかったので駅長室で何回も練習をしてこの点呼場に立ったんです。僕が昭和49年に入社したとき、現業の実習はまさにこの駅だったんですね。実習を2週間ほどやった場所に駅長になって帰ってきたといううれしさと同時に、ここで立派に任務を果たしたいという思いがありました。当時、安全安心を背負うという意味で制服はすごく重い、鉄道員の誇りだと感じていたので、最初の挨拶でそのことを素直に伝えたら、『この制服はね、高島屋製ですよ』って係員からユーモア交えて言われたのがすごく記憶に残っています」
就任直後に“爆発”の一報
初めての点呼が10分ほどで無事に終わり、駅長室に戻ったときでした。

野尻さんは助役から「築地駅で爆発があったようだ」という一報を受けます。

テレビをつけると築地駅の様子が映し出されていました。状況がつかめずにいたところ、駅長室の隣にある事務所にも体調不良を訴える人たちが押し寄せてきました。

地下鉄サリン事件の発生でした。
地下鉄サリン事件
1995年3月20日に当時のオウム真理教が起こした事件。千代田線、丸ノ内線、日比谷線の3つの路線に猛毒のサリンがまかれ、14人が死亡、およそ6300人が被害に遭った。
野尻さん
「日比谷線の方からサラリーマンの方と中学生くらいの子どもが真っ青な顔で入って来て、おう吐もしていたのでベッドに寝かせた記憶があります。私はコップに水をくんで2人に持って行ったんですけど会話がままならず、それを飲むのがやっとくらいの状況でした」
事務所内では電話が鳴り続き、駅員の声が飛び交っていました。

「大変なことが起きている。ただ、駅長に就任したばかりで駅の細かい業務や駅員の顔もわからない」

自分にできることを考え、野尻さんは事務所にとどまりました。乗客の安全を最優先に行動するよう駅員に周知し、情報を集約してマスコミへの対応に備えようと考えました。
野尻さん
「駅長である自分が指揮官として機能しなくてはと思いました。情報を的確につかんで共有するため、駅構内に貼ってあったポスターを事務所内のロッカーに裏返して貼り付け、情報が入った時刻と内容を逐次、書き込ませていったんです。築地駅の爆発に始まり、その後は『高橋助役がホームで倒れ、息も脈もない』、『鑑識の人が倒れている』などといった内容が次々に入って来ました。築地駅で起きたこととの関係がわからず、何の影響でこうなっているのか当時は全くわからなかったんです」
乗客の避難誘導はできたのか、被害はどれだけ広がっているのか、状況の把握に務める時間が続きました。
野尻さん
「一報からおよそ3時間後の午前11時10分ごろでした。警察から液体はサリンらしいという情報が入り、同時に全員が駅構内から地上に退避するよう指示がありました。駅員の誘導もあって乗客は午前9時過ぎに退避を完了していました。残る駅員にも一斉に地上に出るように伝え、駅構内に残った助役と私の2人で誰も残されていないことを確認して外に出ました。そうすると、たくさんのマスコミの人たちがいて、マイクを向けられ、地下の様子やガスのにおいなどについて質問され、誰も構内には残っていないこと、においは感じなかったことを伝えた記憶があります」
命懸けの撤去作業
この日の午前8時10分すぎ、霞ヶ関駅の千代田線5番ホームに到着した電車の先頭車両に、のちにサリンだとわかる不審な液体がまかれていました。

乗客の安全のため、助役の高橋一正さん(当時50歳)ら駅員たちは液体がしみ出していた包みの撤去作業に当たりました。
当時の仮眠室
高橋さんは、包みを車両の外に出し、車両の床に広がった液体を新聞紙で拭く作業を行いました。包みを袋に入れて事務所内にある分厚い扉で仕切られた仮眠室に持ち込んで封印した駅員もいました。

こうした対応で、高橋さんと別の助役の2人がサリン中毒で亡くなりました。
野尻さん
「就任初日で何もできなかった悔しさがあります。事件発生後、駅には多くの献花が寄せられました。終電後に高橋助役が亡くなったこのホームを私たち駅員が訪れ、先頭車両近くの柱のたもとに花を添える、そんな日々が少なくとも1年は続きました」
事件に巻き込まれる直前、忘れられない出来事がありました。
就任したばかりの野尻さんが点呼に向かう際、千代田線のホームに向かう高橋さんから「野球のうまいやつ、探して連れてきてくれよ」と声をかけられたと言います。
野尻さん
「あのときは、名前も顔も分からず一瞬の会話で終わりました。職場の野球チームの話だったんです。それからほんの数十分の間で高橋さんが亡くなったという情報が入ってくるわけです。高橋さんの告別式で制服で見送ったとき、あのとき、高橋さんのご家族の前で深々と頭を下げたことを思い出すと、もう言葉もありません」
プレートに込めた2人への思い
現場となった5番ホームから改札を出た場所に1枚のプレートが掲げられています。

亡くなった高橋さんら2人を慰霊し、功績を後世に伝えるため、事件から1年後、有志で設置しました。

プレートには、「的確な判断により多くの乗客の命を守り殉職した」、「安全輸送に懸けた功績をたたえ我々営団地下鉄職員の誇りとしてここに記す」と刻まれています。
野尻さん
「このプレートの裏には有志である各駅の駅長たちの名前が書かれています。2人の果敢なる行動は誇りです。そういう行動を駅員ひとりひとりが当たり前にやるというのは、教育や訓練で培われたものが体にあるからなんです。事件だとしても何をすべきかというのはもうわかっていたということです。このプレートに刻み込まれたことばのひとつひとつに現業で働いている人の思いがすべて入っているんです」
プレートを設置してからまもなく、野尻さんは霞ヶ関駅長から本社に異動します。
まだ駅長を続けたいと希望していたため、後ろ髪を引かれる思いでした。
駅長を退任してからもずっと野尻さんが大切に保管しているものがあります。

事件当日、助役の1人が駅員の状況を把握するために作成した手書きのメモです。古くなって少し変色したメモには、その日58人の駅員が出勤していたと記されています。

58人のうち41人が病院を受診、少なくとも5人が入院しました。当日、「涙が出る」、「目がチカチカする」などと症状を訴えていた駅員たち。

メモを見るたび、駅員が奮闘した姿がよみがえります。
30年続く慰労と慰霊
事件翌月の4月、野尻さんは事件の対応にあたった駅員を事務所に集めて反省会を開きました。

その際、警察から、当時の駅員の対応をたたえられたと伝えたところ、ひとりの駅員から「駅長のためにやったんじゃない。乗客の安全安心のために常日頃からやっている当たり前のことを、当たり前にやったんだ」という声が上がりました。

周囲の駅員も同意するようにうなずいていました。
総務部門が長く、現場経験の浅い野尻さんにとって、“鉄道員の神髄”を感じた瞬間でした。

「何か少しでも感謝の気持ちを伝えたい」

野尻さんのなかで、そんな思いが膨らんでいきました。
そして10月、地元の花火大会に駅員たちを招待。

それ以来、毎年秋になると当時の駅員やその家族が集まっています。
野尻さん
「うちの家族がみんな集めて慰労しようというところから始まったんです。ありがたいです。毎年顔をあわせて、サリンのことはひと言も話しません。とにかく楽しく過ごしたいということでやっています。いまでは上下関係もなくて、年上からも年下からも“おやじ”と呼ばれる存在になったことのうれしさもあります。できるかぎり続けていきたいと思っていますし、仲間ですね、本当の」
3月19日、事件発生から30年を前に、野尻さんは当時の助役とともに亡くなった高橋さんの墓前で手を合わせました。

どうか安らかに眠ってほしい、そう願っています。
野尻さん
「当時の駅長としての務めだと思っています。殉職をさせてしまった責任があり、心苦しさがあり、お墓参りすることで少しでもおわびをしたい。毎年こうやって務めを果たすこと、僕にできることはこれしかないなって思うんです。30年が区切りではないですし、できるかぎり続けたいと思っています」
事件が残したもの、自分にできることは
野尻さんは、いまでも3月が近づくと目の痛みや不眠などの症状に悩まされています。

仲間2人を亡くした駅長初日のあの日から30年、これからも元駅長として生きていきます。
野尻さん
「年が明けると阪神・淡路大震災が1月、3月にこの事件があるんだなと毎年思って過ごしてきました。事件に関わった人はいろんな思いを抱えてずっと歩んでいくんだろうなと感じています。事件で人生が大きく変わった人、また変えないように努めた人もいると思います。被害に遭った人は、つらくて忘れたい、触れたくないという気持ちもあると思います。私は駅長としての責任を十分果たせなかった申し訳なさが常にあり、その思いは自分ひとりが背負っていこうと思っています。3月20日は私にとっては静かに過ぎてほしいんです」

2025.3.21 長野駅前殺傷事件 容疑者衣服の血痕 DNA型が被害者と矛盾せず
ことし1月、長野駅前で男女3人が刃物で刺されて死傷した事件で、容疑者の自宅から血痕があるジャンパーが押収され、鑑定の結果、そのDNA型が被害者のものと矛盾しないことが捜査関係者への取材でわかりました。容疑者は黙秘を続けているということで、検察は21日から刑事責任能力を調べるための「鑑定留置」を始めました。
ことし1月、長野駅前で男女3人が相次いで刃物で刺され、長野市の49歳の会社員が死亡し、男女2人が重軽傷を負った事件では、市内に住む無職、矢口雄資容疑者(46)が殺人と殺人未遂の疑いで逮捕されました。
警察によりますと、容疑者の自宅からは事件の際に着ていたとみられるジャンバーやズボンなどが押収されたということで、このうちジャンパーには血痕があったため鑑定を進めた結果、被害者のものと矛盾しないDNA型が検出されたことが捜査関係者への取材で新たにわかりました。
一方、凶器の刃物の特定には依然、至っていないということです。
容疑者は事件について一貫して黙秘を続けているということで、検察は、刑事責任能力を調べるための「鑑定留置」を21日から始めました。
「鑑定留置」の期間はことし7月11日までで、専門家による精神鑑定が行われ、検察は鑑定結果などを踏まえて、起訴するかどうかを判断するものとみられます。

2025.3.21 警察庁 女性警察官の制服スカート廃止へ 約50年経て規則除外に
警察庁は女性警察官の制服を見直し、現在のスカートとズボンの2種類のうち、スカートを廃止することを決めました。女性警察官の業務範囲の拡大によってスカートは現場で動きにくいとして着用しなくなってるということで、警察官の制服の規則に明記されてからおよそ50年を経て除外されることになりました。
警察官の制服は一目で警察官と判別できるようデザインや色、素材などが、規則で細かく定められ、女性警察官については現在、上は上着にワイシャツ、下はズボンかスカートを着用することになっていて、各地の警察では、ズボンとスカートのどちらを着用するか本人の希望などをもとに決めているということです。
職務質問や取締りなど現場で活動する女性警察官が増え、スカートでは動きにくいという声を受けて、26の都府県の警察ではすでにスカートを支給しなくなっていますが、警察庁は今回、制服の様式を統一するため全国の警察でスカートを廃止することを決めました。
女性警察官の制服については1976年に初めて規則で統一され、スカートとズボンが明記されましたが、スカートはそれからおよそ50年を経て除外されることになりました。
このほか、夏の厳しい暑さに対応するため、これまでワイシャツだけだった夏用の制服について、ポリエステル素材で乾きやすいポロシャツタイプの制服も新たに導入されることになりました。
さらにふだんかぶる「活動帽」と呼ばれる帽子は頭頂部をメッシュ素材で熱を逃がす仕様にし、交番や駐在所の中では脱いでもよいことにするということです。
新しい規則は来月1日から施行され、ポロシャツタイプの制服は5月から埼玉県警でモデル事業として使用されるということです。

2025.3.21 【速報】大阪市の遊歩道で男性の遺体の一部発見 「袋から肉の塊」と通報 司法解剖で肉片は筋肉と内臓の一部などと判明
大阪市の遊歩道で袋に入った男性の遺体の一部が見つかりました。
19日、大阪市で「袋から肉の塊のようなものが落ちていて何かおかしい」と通報がありました。
袋は縦約48cm、横約58cmで、肉片が10個ほど、骨片が20個ほど入っていました。
司法解剖の結果、肉片は筋肉と内臓の一部などで、骨はろっ骨であることや、遺体が年齢など不詳の男性だとわかったということです。

2025.3.21 【逃走中】出かけようとした高齢女性に突然男が金銭要求する強盗致傷事件 歯茎から出血するケガ 東京・新宿区
東京・新宿区のアパートで、男が高齢女性に現金を要求する強盗致傷事件がありました。
20日午後1時ごろ、新宿区大久保のアパートで、高齢女性が出かけようとしたところ、突然男に金を要求されたと通報がありました。
女性は歯茎から出血するなどのけがをしていて、男は何もとらず逃走したということです。
警視庁は強盗致傷事件として男の行方を追っています。
2025.3.21 【地下鉄サリン事件から30年】猛毒のサリンで14人死亡・6300人以上負傷 霞ケ関駅で慰霊式 高橋シズヱさん「長い30年だった…」
オウム真理教による地下鉄サリン事件から30年が経ち、無差別化学テロの現場となった霞ケ関駅では慰霊式が行われました。
30年前の3月20日、オウム真理教の幹部らがラッシュアワーを狙い、東京の霞ケ関駅を通る3つの路線で猛毒のサリンをまき、14人が死亡、6300人以上が負傷しました。
霞ケ関駅では、発生時刻の午前8時ころ駅員らが黙とうを捧げました。
そして、事件で駅員だった夫を亡くした高橋シズヱさんが花を供えました。
事件で駅員の夫を亡くした 高橋シズヱさん:
ここに来ると、その当日のことを鮮明に思い出して、悲しみがこみ上げてくるんですけれども。長い30年だったなというふうに思っています。
一方、公安調査庁は2月、オウム真理教の後継団体「Aleph」の施設に立ち入り検査を行いました。
道場では、麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚の写真が掲げられた祭壇が確認され、公安調査庁は今も信者らが帰依を深めているとみて目を光らせています。

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